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デルポトロ - Vamos a ganar!

◆動画 Del Potro rips through Nadal (brightcove.com、2:34)
今回の全米SF(vsラファ)後のデルポのオンコートインタビュー。
みんなが見たがっていたひさしぶりのラファvsフェデラーを阻止してしまったことを言われ、「Yes, I'm sorry.(そうだね、ごめん)」。これが大ウケ。


◆US Open: Juan Martín del Potro habla tras derrotar a Rafael Nadal
デルポ、ラファ戦後ESPNに語る



◆つい最近出たThe New York Times記事によると:

  • デルポ父は有名なラグビー選手だった。
  • 同じタンディル出身のサッカー選手Mauro Camoranesiと仲がいい。
  • タンディルには、デルポの一族が150~200人住んでるそうだ。
  • ブラッド・ギルバートによると、2年前のデルポのサーブは160キロにもいかないものだった。今はふつうに185キロ前後のサーブを打ってる。

そうなんです、私もデルポを初めて見た時には「まさか、このノッポがラファ以上のへなちょこサーブの持ち主だなんて・・・ いや、きっと肩を痛めているにちがいない・・・」と思ったものです。

clipped from www.nytimes.com

Town of Red Meat and Tennis Raises Another Star
 
Del Potro’s father had been a noted rugby player before he became a veterinarian.
 
Del Potro remains close with Mauro Camoranesi, a professional soccer player who grew up in Tandil.
 
He estimated that 150 to 200 members of his family still live in Tandil, and they all gather for celebrations when he returns.
 

“We love sports,” he said. “We prefer sports better than school.”

 
Gilbert remembered watching him at a tournament two years ago, and del Potro could not yet break 100 miles per hour with his serve. Now he routinely serves about 115 m.p.h.
 blog it


◆デルポを語る上で欠かせないのは、その出身地タンディル。

タンディルは、ブエノスアイレスから360kmのところにある人口11万人ほどの町。一時はタンディル出身のトップ100選手が4人いました。(デルポ、モナコ、Mゴン、そして現在は圏外だけどJunquaira) その4人全て(+サバちゃん)は、すべてMarcelo Gómez門下生。それぞれ長じて別のコーチについたけど、基礎はすべてGómezが築いた。

Gómezの教えは3つ:献身、謙虚であること、コートで全力を尽くすこと。遅刻したり、ラケット投げたり、おしゃべりが過ぎると練習に参加できず見学する羽目になる。そして、行儀良く、礼儀正しく、時間を守り、常に目標を持つことが求められる。


Marcelo Gómez(左)、デルポ、謎のヒト(たぶん臨時のフィットネストレーナー)
IMG_1054.JPG


【続きを読む】にあるのは、過去記事からコピーしたものです。(多少アップデートなどした部分あり。たとえば、新しいあだな“La Torre de Tandil(タンディルの塔)”とか、
公式サイトhttp://delpotrotenis.com/とか) 【9月22日追記:公式ではないんじゃないかとご指摘いただきました。ATPサイトのプロフィールを確認したら、このサイトのことは出てなかったので、ご指摘どおり公式ではなくファンサイトなようです。】

Juan Martin Del Potro

  • なまえ: Juan Martin Del Potro
  • あだな: Enano(ちび)、Palito(細い棒=やせっぽち) 、 Delpo。そして去年あたりからメディアで“La Torre de Tandil(タンディルの塔)”と称されるようになってきた。
  • テニあれでの名前表記の移り変わり: 最初の頃は「デル・ポトロ」、その後「JMDP」、そしていつのまにか「デルポ」に定着。
  • 出身地: Tandil(アルゼンチン) ←モナコ、サバちゃんなどと同じ
  • コーチ: 5才から2008年2月までMarcelo Gómez・・・と書いてある記事もあったけど、2007年頃にはインファンティーノ(Eduardo Infantino)がコーチでした。【追記:2007年夏頃から秋にかけてだったと思う】 2008年2月か3月からフランコ・ダビン。フィットネストレーナーは、去年の夏からMartiniano Orazi。
  • 公式サイト(ファンサイト): http://delpotrotenis.com/
    今年から公式サイトができたんですね~ まだまだコンテンツ少ないけど。【9月22日追記:公式ではないんじゃないかとご指摘いただきました。ATPサイトのプロフィールを確認したら、このサイトのことは出てなかったので、ご指摘どおり公式ではなくファンサイトなようです。】
  • 憧れた選手: サンプラス、サフィン、ヒューイット、(アルゼンチンなら)ナルバンディアン
  • ヒイキのサッカーチーム: ボカジュニア

5才から(ソースに拠っては6~7才)Marcelo GómezのもとClub Independiente de Tandilのテニススクールでテニスを始める。Gómezは、デルポだけでなくサバちゃん・モナコ・Mゴン・Junqueiraも育成してきたタンディル・テニスの生みの親。
デルポは「テニス協会からは一度も援助してもらったことはない。ここまで来られたのは家族とコーチのおかげだ」(2006年ブエノスアイレス大会での発言)とのこと。Gómez門下生でプロを目指す者には、クラブから援助があるようです。




<テニあれで見るデルポの歩み>

2005年

年頭1045位 → 年末157位

■RGジュニアQF:A. Murray (GBR, 1) d. J. M. Del Potro (ARG) 6-4 6-2
マレィに負けてジュニアを卒業。(この前年の全米ジュニアでもマレィに6-0 6-1で負けている)
敗退後のデル・ポトロをフェデラーやナダルが練習相手に指名したらしい。

■7月 BiellaチャレンジャーQF
ラバーゼ(207位) d. デル・ポトロ(ARG、425位、16才) 6−2 6−4

■秋(ブエノスアイレス2006記者発表会)
「WCのひとつはおそらくデル・ポトロに出すことになるだろう。ただし、今年のCopa Petrobrásシリーズ(チャレンジャー)でそれなりの結果を出すという条件付」 (ブエノスアイレス大会ディレクター談)

■秋 モンテビデオ(Copa Petrobrásシリーズ)でチャレンジャー初優勝
今季3つのフューチャーズに優勝。現在トップ200選手の中では最年少。(次に若いのは18才のマレーとジョコビッチ)

■秋 ブエノスアイレス(Copa Petrobrásシリーズ)
1回戦でKoellererと対戦。試合中、痙攣のため手当を受けてたデル・ポトロはKoellererにからかわれ、それが原因ではないにしろ敗退。ロッカールームに戻る途中でが出てきたとか。

■ちなみに、この頃は身長195cmだったはず。(2008年現在198cm - まだ伸びているのかどうかは不明)

■12月
デ ル・ポトロ: 「素晴しい1年だった。チャレンジャーで優勝した − これはもともとは2006年の目標だったのに。2005年当初はフューチャーズの予選さえろくに勝てなかったけど、すぐにもっといいプレイができるように なった。350位以内に入ること、そしてフューチャーズで優勝することを目指してた。ここまでやれるとは思わなかった。」
(同じタンディル出身のサバレタ、モナコについて)「ピコ(モナコ)は兄、サバレタは父親みたいな感じで、色々アドバイスしてくれる。」
一番のアイドルはサフィン。アルゼンチンではナルバンディアン。いつの日か彼らみたいにプレイできるようになりたい。」





2006年


■年頭158位 → 年末92位

■2月 ビニャデルマル(ツアーレベル・デビュー
R2 Gonzalez d. Del Potro 3-6 6-7(4)

■2月 ブエノスアイレス
R1 (3)Ferrero d (WC)Del Potro 62 46 64
WCを貰ったこの大会のために全豪予選に出ないでクレイで練習し、チャレンジャー(クレイ)に出て備えてきました。

デ ル・ポトロ:「対等に渡りあえたので、勝てるかもと思った。いつもTVで見ていたスター選手のフェレロに勝てるかも、と。そのせいでたくさんエラーをして しまった。とにかく、今回の対戦はよい経験になった。僕はまだ若いけど、いい方向に進んでいると思う。でも、こういった対戦を乗り切るにはまだ経験が足り ない。こういうトップ選手との対戦では、とくにメンタルの格差を感じる。ビニャデルマールでもそうだった;フェルナンド・ゴンサレスと対等に打ち合えた。 だけど、彼ら(フェレロやゴンサレスのようなトップ選手)に勝つには僕はまだまだだ。」

■RG(GSデビュー
R1 Ferrero d. Del Potro 6-3 2-6 6-2 6-4

■9月 ムンバイ
R1 Del Potro d. Moya 6-3 6-2
これによりモヤ伝説が発動したと思われます。

■10月 TMSマドリッド(マスターズシリーズ・デビュー
予選にWCで出場。Mahut、PHマチューに勝ち本戦入り。
R1 J. Johansson d. Del Potro 4-6 4-6

■フェデラーがバーゼル大会WCにデル・ポトロを推したらしい。

■2005年は彼自身が予想しなかったほどの勢いでランキングが上がり、目標を上方修正する必要があった。2006年の目標は「TOP100に入ること」だったが、これも無事クリア。ちなみに、年間トップ100中最年少。





2007年

■年頭92位 → 年末44位

■全豪 Gonzalez d. Del Potro 76 46 67 64 40 ret.
デルポ(5セット目に痙攣のため棄権して負けた時のことについて):「ロッカールームでナダルがやってきた。僕はひどく打ちのめされていたんだ。彼は僕の肩に手を置いて『落ち着けよ。2年前、僕が君と同じ年だった時、同じことがあった』って言ったんだ」(リンク切れだけどソース
この頃は195cm/78kgだった模様

デ杯デビューで勝利(&キャリア初の5セットマッチ勝利)
J.DEL POTRO (ARG) 7-6(4)  3-6  6-4  4-6  6-2 J.MELZER (AUT)

ア ルゼンチンはこの勝利でQF進出を決めました。もしここで負けたとしてもQF進出は最終戦に持ち越されてカニャスがほぼ確実に勝って くれただろうし 、アウェイだったからプレッシャーはさほど大きくなかったと思う。かといって消化試合でもなく。理想的なお膳立てでデ杯デビューして、しかも勝った。こ んなに恵まれたデ杯デビューを飾る選手も少ないに違いない。

この試合の合計ゲーム数は50。全豪でのゴンとの対戦とゲーム数は同じ。全豪では痙攣で途中棄権しなければならなかったけど、今回は試合最後まで戦い抜き、勝ちました。もっとも痙攣(の兆候?)はあったらしいけど。

■この年以降、2月には南米クレイ大会ではなく北米ハードコートにエントリー。ハードコートの方が得意なため。

■トップ3と立て続けに対戦
ラファ: マイアミ( 0-6 4-6)、RG( 5-7 3-6 2-6)、クィーンズ( 4-6 4-6)
フェデラー: ウィンブルドン(2-6 5-7 1-6)、バーゼル(1-6 4-6)
ジョコ: 全米(1-6 3-6 4-6)

■AIGオープン
R1 Sela d. Del Potro 6-2 5-7 3-5 RET





2008年

■年頭50位 → 4月81位 → 7月25位 → 年度末9位

■ 全豪リタイア↓の後、しばらくOUT。マイアミで復帰。
R2 Ferrer d. Del Potro 3-6 4-6 RET

■ローマのマレィ戦は、Baby Balls世代の歴史に残る名勝負になるかと思われたが、またリタイア。痛みとリタイアする悔しさ?で、デルポはビービー泣いた。(上記動画参照)
A. Murray d. Del Potro 7-5 4-6 0-1 RET

■デンボス(芝)で、サントロ・シュトラー・クレモンに勝ち、フェレールに負ける。

■シュトゥットガルトでツアー初優勝。
翌週キッツビュルでも優勝し、2大会連続優勝。

以下省略




<テニあれで見るデルポあれこれ


デルポの夢が叶う
デルポ:「(ヒューイットとの練習は)ナダルやフェデラーと練習するよりすばらしかった。だってヒューイットは僕のアイドルだから」

フェデラー、今後が期待される若者について(2007年9月)
「すぐにもトップ10になりそうなデルポトロ」(フェデラー談)

デルポ@biofile
一番素晴らしかった出来事: (ジネプリに勝って)トップ100に入った時 - 200610月、東京で。

Martin Jaite、アルゼンチン選手たちについて語る
デルポトロ: 将来のトップ10。

デルポトロと仲間たち
チャレンジャー初優勝のあと、故郷に錦を飾る。(子供時代からの仲間たちとの集合写真あり)

デルポトロ「ナダルなんか目じゃない」
デ ルポ:「ナダル? 目じゃないね。モナコやカレリはいいライバルだ。モヤもナダルも残りのスペイン人たちもライバルじゃないね。アルゼンチン人の方がレベ ルが高い。スペイン人は僕らに敗戦続きでいい加減イヤになってるんじゃないかな。いつも夕食とかお金とか賭けてるし。」
プレステの話です。

■デルポの育ての親Marcelo Gómezが語る記事(スペイン語)。ちびデルポ写真あり。ここにはMarcelo Gómezが2008年2月までデルポのコーチだったと書かれていますが、2007年暮れか秋までの半年だか1年だかはインファンティーノ(Eduardo Infantino)がコーチをしていました。(しかし、2007年のジャパンオープンに出場した時にはインファンティーノではなく、Marcelo Gómezが一緒だった)

Cuando Del Potro era Del Potrillo

 
Sí, siempre fue muy alto. A los 12 años tenía un físico de 15.
 
Le puede hacer partido a cualquiera, hasta Federer y Nadal.
 blog it




動画


◆デルポ、飛行機の中で語るシリーズ(segundosaque、14/03/2008)

  • その1 テニスを始めた頃の話。
  • その2 デ杯の話。
  • その3 コーチについて。
  • その4 一番の夢はナンバー1になること。GSなら全米。マレィに全米ジュニア?でコロ負けした話。など。

DEL POTRO(segundosaque、14/03/2008)
RGでラファと対戦するデルポ語る
アップすぎます。>撮影者殿




デルポ関連テニあれ過去記事





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[ 2009/09/15 ] 選手 バモ族 | TB(0) | CM(1)

デルって…なんだ

デルって…なんだろう…?
[ 2009/09/15 14:27 ] [ 編集 ]

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...he looks back and decides that all those years he suffered, those are the best years of his life, cause they made him who he was. 
(From a film Little Miss Sunshine)
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