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恒例の1年を振り返るシリーズ。
この1年間で記事更新8回。少ないぞっ...
以下、その精鋭(笑)記事8本のタイトル:
他力本願な観戦写真・観戦記集 もし僕に何かあったら、あなたたちキャプテンの責任だ 2012秋冬の私の予定 シュトゥットガルト→ハンブルグ→キッツビュル パリ危険情報 再びブエノスアイレス ブリスベン観戦写真 by pizzaさん 決勝追加しました 2000年代のGS優勝を一覧表にしてみた 他力本願記事とお知らせ(私の予定)ばっかり。
ま、いっか。
振り返る【シリーズ】ってことで、あと1本くらいは簡単なのを書くつもりでいます。
◆過去記事「2011年を振り返る 」中の【2012年にむけて言霊発信】の実り具合: アルゼンチンが遂にデ杯優勝し、ナルが号泣 →SFでチェコに敗れました。でも、SFまで行けたことは評価すべき。マレィがようやくGS優勝し*、吠える →まずウィンブルドン開催オリンピックで金メダルを獲得。その後全米にて無事GS優勝。マレィファンのみならず、多くのテニスファンが安堵した。ベルディフがもう一皮剥ける ←テニス面ね →いちおう一皮剥けたはず。GS優勝しろ!というつもりで書いたんだけど、曖昧だったためか、デ杯で優勝してしまった。(決勝のヒーローはステパネクだった)年末、ガトvsフェデラー in 南米(ブエノスアイレス) ←ガトがそう熱望してるみたいなので →ガトvsフェデラーは実現しなかったけど、フェデラーの南米ツアーは実現。ガトとフェデラーの再会も実現。ガトがコーチとしてツアー登場。ジャパンオープンなんかにも来ちゃう。 →コーチ職にはついてないけど、シニアツアーには登場。当らずといえども遠からずってところかな。ま、予言じゃなくて願望なのでこれだけ実れば御の字。
◆今年引退した選手たち フェレロ
私をテニス観戦沼に引き摺りこんだ張本人。まさか
GS(RG)優勝 1回だけでキャリアを終えるとは思いませんでした。
RG優勝した2003年には
全米でも決勝進出 (優勝はロディック) し、
No.1 に登りつめます。が、翌年早々に水疱瘡にかかった辺りから下降線。ディフェンドすべきRGではアンドレエフ相手に1回戦敗退。
2005年2月にはあわやトップ100圏外(98位)にまで落ちますが、持ち直して数年間15〜30位くらいを維持。
しかし、2009年2月から2、3ヶ月の間100位あたりをウロウロ。再度持ち直して一時は14位。
しかし、2011年夏、トップ100圏外に。再々度持ち直してきましたが、37位をピークに雪崩のごとく落ちていき....3度目のカムバックとはならず、引退。
負けず嫌いだけど、その闘志を内に秘める人でした。彼が10代半ばの時に亡くなったママが、コート上で感情を爆発させるような行為が好きでなかったとか。
スペイン人初のNo.1はモヤだったけど、
スペインに初めてのデ杯優勝をもたらした のはフェレロでした。モヤが故障でデ杯に出られなかった2000年、ラフターとヒューイット相手にシングルス2勝(決勝点)を上げ、優勝の立役者に。
デ杯ワールドグループ決勝(2000年) 2003年にマヨルカ大会を買取り、バレンシア開催へ。(マヨルカはフェレロの初タイトル大会)
その後アカデミーやホテル経営にも乗り出す。
前ラファ時代のクレイ名勝負と言ったらガトvsフェレロでした。←かなり主観入ってる(笑)
ガトvsフェレロ(対戦成績) 今年のバレンシア大会で引退。
会場で聞かれる「フアンキ(=Juanqui、フェレロの愛称)」という掛け声には、熱狂は感じられなかったけど温かな愛情が籠っていました。
ロディック WBを最後に引退、いや全米後だ・・・というような噂はあったようですが、あまりにも突然の引退宣言でした。 私のスローガンのひとつ「ヤンキーゴーホーム」の主たる対象だったんだけど、気がついたらピンポイント(WBとかvsフェデラーとか)とはいえ結構応援するハメになってた。
ゴン テニス選手としては最多オリンピックメダル獲得でしょうか。アテネでダブルス金&シングルス銅、北京でシングルス銀、と
金銀銅メダル 全部持ってます。
ノノこと クレモン 昔けっこう好きだった選手。来年度からおフランスのデ杯キャプテン。
ルビチッチ 私にはまったくひっかかるところがありませんでした。そういう選手もいるよね。
クライノビッチのコーチになるそうです。
チェラ 元祖細
脚 繁盛記。
twitter界のフェデラー。
錦織圭の憧れの選手だった過去あり。
ガト友。2004年にはガトと組んだダブルスでビニャデルマルとエストリルで優勝、RGでも3回戦進出。ガトのRG優勝には、チェラとのダブルスも大きな貢献をしたんじゃないかと思ってます。
チームチェラには見栄えのする人が多いという印象あり♪
ジュニア時代は将来を嘱望されるようなことはまったくなかったとか??? しかし、生涯獲得賞金額でガトを上回ってしまいました。ガト$6,066,156、チェラ$6,572,494(
Career Prize Money - pdfファイル)。
2009年、30歳の頃に200位くらいまでランキングを落としたものの、驚異のカムバック。20〜40位くらいに滞留し、2011年RGではQF進出。翌週
アルゼンチンのNo.1 となる。
この時代にアルヘンメディアにおいて
"Torino" というあだ名が定着。Torinoは昔アルゼンチンで製造されていた車。2010年ブエノスアイレスでチェラがモナコにフルセットの末負けた時、当時のデ杯キャプテンがチェラコーチに"Es difícil competir con un Torino contra un coche nuevo(Torinoじゃ新車に対抗するのは難しい)"と言い、チェラのデ杯チーム入りは消えた(ということだったと思う)。ネガティブな意味で使われた言葉だけどチェラたちはそれをおもしろがって使い、メディアもそれに乗った。
今年はクレイシーズンあたりでアキレス腱を傷め、まったく勝てませんでした。秋にはスペインで治療だかリハビリだかしてバレンシア出場を目指していたと思ったんだけど...12月に入ってtwitterで引退宣言。
20歳の頃のチェラ
アカスソ 愛称チューチョ。小さい頃「アカスソ」と言えずに「アカチュチョ」と言ってたことからこの愛称に。
デ杯では辛い役割が多かった。。
シュトラー 76年組だから、もう36歳。最後の公式戦(今年の全豪)時には35歳。
アジアが好きで、日本にもよく来てました。2003年ジャパンオープンチャンピオン。
2010年からWaskeと共に
Schüttler Waske Tennis-University 主催。
Brian Dabul 練習試合とはいえ、RGでラファに勝ったことあり。(同年、ラファはRG本選でも初の黒星)
Brzezicki 自分の子供にJankoという名前をつけるほどティプサレビッチと仲がよいらしい。
ルチャク バレンシアにヒューと来てました。ヒューのヒッティングパートナーとしてツアーを回っているのかもしれませんね。
Waske 上記シュトラー参照
ノウルズ 引退前からフィッシュのコーチとして活動中
リスナール ツアーではガトに1勝1敗。
Brezac フランスクラブリーグで彼が所属しているチームが優勝したんだったかな?
Brézac stoppe sa carrière et dévoile ses états d'âme sur le net 引退したとはいえ、今後も仏クラブ主催チャレンジャーの予選なんかには出る予定。
Alcaide Guillermo Alcaide's retirement tribute and interview モヤとCarreteroのSDテニスアカデミーのコーチに。
最後の3人はアルゼンチンの友ラウル(twitterアカウント: raulfiber)のつぶやきで発見。(Brezacは初見の名前だった)
まだいますかね?
番外(女子)
ジセラ・ドゥルコ も引退。
◆今年の新顔 ATPニューカマー賞ノミネート選手 - ( )内は2011年度末ランキングと2012年度末ランキング
David Goffin (174-46) Jerzy Janowicz (221-26) Martin Klizan (117-30) Andrey Kuznetsov (222-78) あと誰がいたっけ???
◆復活組
ハース B.ベイカー PHマチュー クエリー ←ATP復活賞のノミネートを見て気がついた
◆休場組
ソーダリン(2011年Bastad以降公式戦には出ていない) クエバス(2011RG以降公式戦には出ていない) ラファ(今年のWB以降公式戦には出ていない) その他(1ヶ月くらいOUTしてる選手は数えきれない???)
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今年印象に残った出来事:
モナコ の活躍(後述) マリ ー(マレー、マリィ、Murray) のオリンピック金メダルと全米優勝 マレーファンのみならず、多くのテニスファンの肩の荷が下りた。こうなったらウィンブルドンでも優勝して、1位にもなっちゃおう。あ、ウィンブルドンはベルディフの優勝後ね。 日本男子 大躍進 錦織 の楽天オープン優勝 ←同大会でダブルスを組んだモナコが錦織に言ったひとこと「どちらのサイドの(リターン)練習をしたい?」がこの優勝を決めた!と言ったらモナコ贔屓が過ぎますかねえ(笑) フェレール がベルシーで初のマスターズ優勝 4強以外の選手のマスターズ優勝はひさしぶり Mロペ がダブルスで大成 オドロキのヤノビッチ @ベルシー チェコ三題:
ベルディフ それでもじわじわ強くなってきた。チェコがデ杯優勝 ロソル d. ラファ その他:
高齢化 25歳ピーク説は最早時代遅れ? どこかでトップ100平均年齢26.7歳とか読んだ気が。フェデラーが1位返り咲きしたし。 結婚: メル、バグ、ほか 子供: バグ、ペヤ、ソダ、ほか 2014~のATPカレンダー編成 中 南米ツアーは何処(何時)へ? 選手たちの圧力によりGSが賞金総額アップ ATP新カウンシル 新顔(スタコ、シモン、ハーセ)あたりが物議を醸す発言もしてたようだけど、若いモンはそれくらいじゃないとね。 ブルークレイ @マドリッド フェデラー南米ツアー 大成功だったのかな。アルゼンチンに来てくれてありガト〜 番外: 「ラファ as カピバラ 」 ◆アルゼンチン デ杯を巡るドラマ、今年も継続中 デ杯優勝の暁にはNHKで大河ドラマとしてTV放映予定 ←うそ デルポ復活 来年はNo.1とGS優勝を目指すのでデ杯には出ないそうです モナコ躍進 CHレベルではあったけど、アルゼンチン勢活躍 90年代組が台頭してきた シュワルツマンが【花の92年組】初のCH優勝 年末にフェデラーがやって来た ◆モナコ 2012年に向けて新しいコーチを迎え、年度末トップ15を目指してがんばってきました。
お初だらけの1年:
芝で初勝利 (ウィンブルドン)500大会初優勝 (ハンブルグ)初のトップ10 入り 今年新たにトップ10に入ったのはモナコ1人(だったと思う) アルゼンチン人としては歴代最年長でのトップ10入りハード初優勝 (クアラルンプール)合計4大会で優勝 (上記のハンブルグとクアラルンプールに加え、ビニャデルマールとヒューストン) 去年バレンシア(500大会、ハード)で逃した優勝を、ハンブルグ(500大会)とクアラルンプール(ハード)で達成した感あり。
年度末ランキング12位 デ杯皆勤 SFでベルディフに勝てなかったのが心残り... さすがのモナコもデルポには愛想尽かしたかな、と感じられる発言があった。年間4勝以上のアルゼンチン人: ビラス(7回)、クレルク(4回)、ハイテ、コリア、ガト、デルポ ラファ友としてラファファンを開拓した後、今年は楽天を中心にニシコリファンも開拓。 モ ナコ曰く:“Mejoré el saque, trato de ser agresivo, perder el miedo de ir a la red a pesar de que a veces pierdo pelotas. La iniciativa está, y a la larga va mejorando” (サーブを強化し、アグレッシブにと心がけた。ミスすることはあるけど、ネットプレイも怖くなくなった。新しいことに取り組んで、それが徐々に実を結んで きている)http://espndeportes.espn.go.com/news/story?id=1492476&s=ten&type=column ミスるんだからネットに出なきゃいいのに・・・と言われることも多かったけど、それじゃいつまでたっても下手なままだものね。
◆2005年以降の男子テニス界の流れ 約1年前の記事から:
「今日まで。そして明日から。(2005~2010概観と、ちょっとだけこれからのこと) 」(過去記事)から:
2005 年、フェデラー・ロディック・サフィン・ヒューのいわゆるニューボールズ組が不動のトップ4として君臨するかと思われた。が、クレイシーズンにな るとそこにラファが割って入り、【独走するフェデラーを追うラファ+その他】という2強時代に突入。以後、約3年間そのまま。 転機は2008年ウィンブルドン。ラファが、フェデラーのウィンブルドン6連覇を阻んで優勝。8月の北京オリンピックで金メダルを獲得した翌日、ついにナンバー1に。 この2008年には、ラファ以外のBaby Balls世代が初めてGS決勝進出(ジョコ全豪優勝、マレィ全米準優勝)。2009年にはデルポが全米優勝し、それくらいから他のBaby Ballsたちもそれなりに活躍し始めます。*Baby Ballsの定義をここでは86~88年組に変えました。(前は85~88年組だった) 85年はどちらかというと83・84年組の隙間世代に近いんじゃないかと思うようになってきたので。 その後、フェデラーはもうダメかも~という空気も流れたけど、1位に復活。ラファも故障には勝てなくてもうダメかも~という空気も流れたけど、1位に復活。2人共キャリアグランドスラムを達成。2010年末には結局この2人がアタマひとつ抜けて1・2位に収まっています。
これに今年分を追加するとすれば、こんな感じ: 2011年、ジョコ旋風が吹き荒れる。GS決勝と1000大会優勝はトップ4(ジョコ、ラファ、フェデラー、マレィ)が独占。
2012年: ジョコ旋風は収まるものの、トップ4の独占状態は変らず。(かろうじてベルシーはフェレールが優勝)
マレィがオリンピック金メダル(@ウィンブルドン)と全米優勝で、トップ4のみそっかす状態から脱出。
マレィの台頭と入れ替わるかのように、ウィンブルドンを最後にラファが長期休場。
年度末1位はまたジョコだけど、夏から秋にかけて3、4ヶ月フェデラーが再度1位に。
◆2013年のコミットメントプレイヤーたち 赤字 は初のコミットメントプレイヤー入り
太字 はコミットメントプレイヤーに復活
ジョコ フェデラー マレィ ラファ フェレール ベルディフ デルポ ツォンガ ティプサレビッチ ガスケ アルマグロ モナコ 12位まではもう何年もツアー常連やってる選手たちで、モナコ以外は去年までにトップ10経験あり。 ラオニッチ 昨年度末31位だったのでギリギリでコミットメントプレイヤーではなかった イズナー チリッチ シモン バブリンカ ドルゴポロフ 錦織圭 コールシュライバー ハース クエリー セッピ ベルダスコ ユーズニー ヤノビッチ フィッシュ カラダを労ってちょーだい Fマイヤー メルツァー もう一花咲かせまっせ クリザン ハー スは大ベテランだし、セッピだってもうベテランと言っていい年。ということで、新たにトップ30入りした新人はラオニッチ、ヤノビッチ、クリザンの3人。 (みんな東欧系だ) 一番若いのは90年生まれのラオニッチとヤノビッチ、その次が89年生まれの錦織とクリザン。(東欧系3+アジア人1だ)
◆2000年以降のGS決勝出場選手 赤字 : ラファ(
R )とフェデラー(
F ) (この2人が決勝進出の場合はさらに太字にしました)
ピンク : ジョコ(
D )とマレィ(
M )
以上の4選手をまとめて「四強」とする
青字 : 2回以上GS決勝進出した選手
: 年度末ランキング二桁の選手
( ): 当該年度末ランキング(四強は省略)
:四強のいないGS決勝(2004年以降のみ)
参考として最終戦(2006年以降のみ)と五輪も掲載
: 特に深い意味なし
2012年はフェデラーvsラファという頂上対決(GS等の決勝での対戦)が一度もありませんでした。2006年以降、毎年一度はあったんですけどね。。
全豪 全仏 全英 全米 最終戦/五輪 2012 D R R D F M M D D F 金:M 銀:F 銅:デルポ(7) 2011 D M R F D R D R F ツォンガ(6)2010 F M R ソーダリン(5) R ベルディフ(6)R D F R 2009 R F F ソーダリン(8) F ロディック(7) デルポ(5)F ダビデンコ デルポ 2008 D ジョコ登場 ツォンガ(6) R F R F F M マレィ登場 D ダビデンコ 金:R 銀:ゴン 銅:D 2007 F ゴン(7)R F F R F ロディック(6) F フェレール2006 F バグダティス(12) R F F R F ロディック(6) F ブレイク2005 サフィン (12) ヒューイット(4) R ラファ登場 プエルタ(13) F ロディック(3) F アガシ(7) 2004 F サフィン(4) ガト(10) コリア(7) F ロディック(2) F ヒューイット(3) 金:マスー 銀:フィッシュ 銅:ゴン 2003 アガシ (4) シュトラー(6)フェレロ (3) フェルケルク(19) F フェデラー登場 フィリプーシス(9) ロディック(1) フェレロ(3) 2002 ヨハンソン(14) サフィン(3) コスタ(9)フェレロ(4) ヒューイット (1) ナルバンディアン(12) サンプラス(13) アガシ(2) 2001 アガシ(3) クレモン(17) グガ(2) コレチャ (16) イバニセビッチ (12) ラフター(7) ヒューイット(1) サンプラス (10) 2000 アガシ (6) カフェルニコフ(5) グガ(1) ノーマン(4)サンプラス(3) ラフター (15) サフィン(2) サンプラス(3) 金:カフェルニコフ 銀:ハース 銅:ディパスカル
◆2000年以降のランキングポイント変遷 特定のランキングの選手の年度末ランキングポイントを一覧にしてみました。
1位 2位 3位 10位 30位 50位 100位 200位 2000 4,175 4,120 3,385 2,020 1,060 775 409 190 2001 4,365 3,855 3,520 1,940 1,080 722 415 188 2002 4,485 3,395 2,845 2,045 1,050 730 392 165 2003 4,535 4,375 4,205 1,610 1,068 736 391 178 2004 6,335 3,655 3,590 1,920 1,013 781 434 212 2005 6,725 4,765 3,085 2,050 979 711 423 195 2006 8,370 4,470 2,825 2,015 950 730 426 196 2007 7,180 5,735 4,470 1,765 930 659 432 214 2008 6,675 5,305 5,295 1,775 1,005 743 473 212 2009年からポイントシステム変更。 大まかに言うと、優勝ポイントは以前の2倍。その他のポイントもある程度それに準じてはいるが、早期敗退や下部大会になるほどポイント増加率は低くなる傾向。 2009 10,550 9,205 8,310 3,300 1,170 899 529 233 2010 12,450 9,145 6,240 2,920 1,385 915 551 255 2011 13,675 9,595 8,170 2,380 1,270 910 567 247 2012 12,920 10,265 8,000 2,515 1,175 830 556 238
↑だけじゃ何も見えてこないので、
それぞれのポイントが【同年の50位のポイントから見て何%にあたるのか】 計算してみた。(計算間違いなどあったらごめんなさい)
1位 2位 3位 10位 30位 50位 100位 200位 2000 4,175 (539%) 4,120 3,385 (437%) 2,020 (261%) 1,060 (137%) 775 409 (53%) 190 (25%) 2001 4,365 (605%) 3,855 3,520 (454%) 1,940 (269%) 1,080 (150%) 722 415 (57%) 188 (26%) 2002 4,485 (614%) 3,395 2,845 (390%) 2,045 (280%) 1,050 (144%) 730 392 (54%) 165 (23%) 2003 4,535 (616%) 4,375 4,205 (571%) 1,610 (219%) 1,068 (145%) 736 391 (53%) 178 (24%) 2004 6,335 (811%) 3,655 3,590 (460%) 1,920 (246%) 1,013 (130%) 781 434 (56%) 212 (27%) 2005 6,725 (946%) 4,765 3,085 (434%) 2,050 (288%) 979 (138%) 711 423 (59%) 195 (27%) 2006 8,370 (921%) 4,470 2,825 (387%) 2,015 (276%) 950( 130%) 730 426 (58%) 196 (30%) 2007 7,180 (1090%) 5,735 4,470 (678%) 1,765 (268%) 930 (141%) 659 432 (66%) 214 (32%) 2008 6,675 (898%) 5,305 5,295 (713%) 1,775 (239%) 1,005 (135%) 743 473 (64%) 212 (29%) 2000-2008 の変動幅 539~1090% 387~713% 219~288% 130~150% 53~66% 23~32% 2009年からポイントシステム変更。大まかに言うと、優勝ポイントは以前の2倍。その他のポイントもある程度それに準じてはいるが、早期敗退や下部大会になるほどポイント増加率は低くなる傾向。 2009-2012 の変動幅 1174~1557% 2008以前と比べて大幅アップ 682~964% 262~320% 130~151% 59~67% 25~29% 2009 10,550 (1174%) 9,205 8,310 (924%) 2,875 (320%) 1,170 (130%) 899 529 (59%) 233 (25%) 2010 12,450 (1361%) 9,145 6,240 (682%) 2,920 (319%) 1,385 (151%) 915 551 (60%) 255 (28%) 2011 13,630 (1500%) 9,595 8,170 (897%) 2,380 (262%) 1,270 (140%) 910 567 (62%) 247 (27%) 2012 12,920 (1557%) 10,265 8,000 (964%) 2,515 (303%) 1,175 (142%) 830 556 (67%) 238 (29%)
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...he looks back and decides that all those years he suffered, those are the best years of his life, cause they made him who he was. (From a film Little Miss Sunshine )